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コーチングの第一人者・山田博さんと気の向くまま一時間対話してみた。 気付いたら「感情やエゴを抱えて生きる人間の愛おしさ」について話してた。

TOP対談 シリーズ「リソウノソシキへの旅」

1999年。経営者や管理職の間でしばしばこんな会話がなされた。「あの黄色い本は読んだ?」。
日本におけるコーチングの黎明期。書籍『部下を伸ばすコーチング』(PHP研究所)が発刊された時に起きた現象である。それまで日本のカイシャにおいて王道であった指示命令型のマネジメント。それに対し答えのない時代への突入にあわせた協働的な人間関係の重要性に着目し、コーチングという人の可能性の最大開花を狙う手法をアンチテーゼとして叩きつけた。著者は翌年2000年に株式会社CTIジャパンを設立。日本におけるコーチングの元祖であり源流となっていった。(その後著者ご自身はCTIジャパンをご卒業なさっている)。
本日の対談パートナーである山田博さんは、そのCTIジャパンで2003年にCPCC(Certified Professional Co-Active Coach)を取得し2004年に独立。日本におけるコーチングの第一人者としてのキャリアを積まれてきた。
自己実現を経営理念に掲げるオズビジョン。自己実現とは自己の可能性を最大限に発揮している状態である、と定義している。対して人の可能性の最大開花を目指すコーアクティブ・コーチング。奥の奥、原点の原点で深くつながっていることは対談前から明らかだ。普段はコーチとクライアントとして接することが多い二人。制約のない雑談という一時間にて交わされたことに迫ってみる。




問題の本質的な要因は問題を眺めていてもわからない。
自分の感情そのものに向かい合うことで見えてくる。

いまでこそ気の置けない社員たちがチームオズビジョンとして生き生きと過ごしている感のあるオズビジョン。が、しばしば耳にするのは「かつてはそうでなかった」というセリフである。過去の労苦を礼賛する積りはさらさらないが、時には苦痛を伴っていた経験こそが今を創り上げていることは断言できる。
山田さんは数年来、代表の鈴木さんのみならず、いわゆるオズビジョンを牽引する立場の社員のコーチング、いわゆるエグゼクティブコーチを担っている。対談はコーチングが開始された当時の状況、節々で苦痛を味わっていた状況を振り返るところから始まった。告白にも似た鈴木さんの言葉から。



「ひろしさんにコーチをしていただくようになってからもう7年になりますかね。まあずいぶん話をきいてもらいました。経営をやっているといつでも何らかの悩みがあるものですが、その当時はマネジメント、特に女性のマネジメントに苦しんでいました。どうにかしようとあくせくして色々本を読んでたらコーチングというものがあると。アスリートの最先端の世界では、スキル面の指導はもちろん重要だが、それ以上にメンタル面での訓練支援がモノを言うということが起こっていると。それがコーチングだと。ビジネスパーソンも同じだと。なるほど早速やってみようと。何人かのコーチにお会いして。その中の一人がひろしさんだったんですよね。以降毎月毎月」。

両者はお互いをファーストネームで呼び合う。コーチングの世界ではよくある接近方法であるが、二人はコーチングの時以外もそうしている。鈴木さんは山田さんのことをひろしさんと、山田さんは鈴木さんのことをりょうさんと呼ぶ。人の呼び方にはお互いの深い関係性が表出するものである。よってほんとうの関係性に迫るため、以降会話の中では、ひろしさん、りょうさんと記していく。



「りょうさん、コーチング受けてきて率直にどうですか、経営者として。コーチには守秘義務があるので言えないことも多いんで、今日はりょうさんから話してもらうといいかな」。

山田さんの語り口はまさにコーチのそれだった。寄り添い添い遂げる。相手が持っている力をとことん信じる。対談は冒頭から既に高度なコーチングにおけるコミニケーションの様相を呈してゆく。「コーチングはあなたにとって何であったか」。その質問への答えを鈴木さんは思考し始める。



「そうですね、、、100%、、、言葉にするのは、、、(難しい)、、、。言葉になるときもあるんですけど、、、そうでないときも、、、。言葉にする、しない、できる、できない、、、その体験や経験自体を得ること、、、。それが価値かと。、、、『言葉になっていないものを可視化するコミニケーション』、、、。それでしょうかね」。
「いまりょうさんが言った『言語化されるモノの根底にあるものを表出させること』と『その体験や経験そのものが大切』というのはまさにその通りでね。よく私はたとえでつかうんですが、まさに氷山。海に浮かんだ氷山のうち海面に出ているのは全体の10%ほどという話。人が言葉などで具体的に表出できるのはその人のほんの一部。残りの部分にその人が培ってきた人生の糧、価値観や感情やらいろいろな大事なものが詰まっている。それらはその人となりを形成するかけがえのないものであることは確かなんだけど、いちいち言葉に出したりはしないものなんです。ここに着目し掘り下げていき自然に表出させるのがコーチングだと言えるでしょうね」。
「経営をやっていると表層で済んでしまうことなんてなくて、事を奥へ奥へと掘り下げていくことが必要になります。たとえば最近クレドと称している行動基準を1年ぐらいかけて刷新したんですが、こういう大事なものに集中していこうとするときには、自らの内側をえぐるように掘り下げていくことが必要です。自分では見えない自分の瞳の色を見るような」。
「りょうさんの言うとおり。限界ってものがあるんです。自分で認識している領域だけで勝負するには限界があるということ。確かに経営者には見えている部分でもって勝負を仕掛けてゆくという状況もたくさんある。一方で人の決断や判断には『見えない領域』から出てくるものが実は多大な影響を与えているんですね。自らのうちに確かにあるその『見えない領域』に何があるのか。これすなわち自分を知ることです。コーチングとは言うならば自分を知ってもらうということ」。

なるほど、コーチングとは魔法の杖ではない。打ち出の小槌でもない。自分を形成している自分自身、紡ぎ出してきた人生から得た様々な糧そのものにこそ真の自己が潜む。その可能性に100%期待する。一見綺麗ごとにも聞こえるが、100人いれば100通りある人生。最後の砦は自分自身であり、こと経営者という使命においてはそれは譲ってはならない礎であろう。



「前にひろしさんと話をしたと思うんですが。経営を川に譬えるやつです。川は脈々と流れ続ける。しかしそこかしこに澱みがおこる。過去の成功体験ややったことのある手段を使って澱みを清めにかかっても、別の澱みが次々と発生し、同じ手管はまったく通用しない。経営も同じ。こういう時には澱みそのものに率直に向き合い、掘り下げ、自分の認知できていないところからも解を出していくということが必要です」。
「経営者であればいい時も悪い時もありますよね。りょうさんの言うように次々と澱みが出てくることもね。これ、往々にして経営者自身が知らないところや見えないところに原因や解決方法があるというのもまさにそのとおり。この場合ね、大事なのが自分の感情に着目するということ。俯瞰して見てみる。何かがひっかかっている。それを一歩引い見てみる。別の方面から見てみる。すると『あー!これかよ!』って。それが澱みの核心であることが実はよくある。コーチングとは別視点の獲得を支援するものとも言えるんです」。

現象ではなく感情。しかも相手の感情ではなく自分の感情に着目する。それが課題の核心に迫ることに繋がると。事実や数字に立脚することで課題に迫ることが基本とされるビジネスの世界において、現実の澱みに悩む経営者にとってこれは新たにもたらされた福音ではなかろうか。そして理念経営を貫いていくオズビジョンの歴史においてさまざまな澱みに直面した鈴木さんにとっても。



人は思っていることを自己に投影して見せてしまうもの。
社員はトップの苦悩を驚くほど見抜いていた。

「最初のうちはコーチングにもゴールがあると思ってたんですよ。ひろしさんに言ってましたよね。『成果として得られるものは何でしょうか?』、『成果があったかどうかはどう計測するのですか?』って(笑)」。
「(笑)まああたりまえだけどね、成果を得たいという思いは。でも途中で変わってきましたよね。りょうさん、セッションを重ねていくうちに自身の内面に起きていることに興味を持ち始めたよね。私が思うにそれがりょうさんの変化が起きた境界だったと思います」。
「ジョハリの窓理論の未知の知ですかね。自分が知らない自分を知るということの手応えを徐々に感じはじめました。知らないことを知ることの価値がわかったんです」。
「私がやっているコーアクティブ・コーチングのコアはまさにそこ。世の中にはやればすぐ成果につながるといった類のものもあるんですがその対極と言えるかも。継続的にやっていくなら見えないところから発するものに着目しなくてはだめです。アメリカの思想家、ケン・ウィルバーのインテグラル理論にもあるように、見えるところだけでなく見えないところも大事で、その統合にこそ意味があるんです。見えないところに継続を可能にする何かがあるんです。りょうさん、そんなことに気付いてからはどうですか」。
「当時は30歳そこそこでした。若かった(笑)。正直あまり覚えてないなあ。ひろしさんから見てどうでした?」
「私は覚えてますよ。それまでは『フレームを基に思考し最短で成果を求める男』(笑)。100%それ(笑)。りょうさんの質問にばっちり表れてたよね。『成果は?』、『プロセスは?』、『計測方法は?』こればっかし(笑)。もちろんりょうさんの求めてくるもの合わせることもできたんだけど、あえて日寄らずに本道を貫いた。そうしていくうちに、りょうさん、だんだん沈黙が増えていったんだよね。コトバとしては『なんなんだろうなあ』と自らに問うという」。
「(笑)。『感じる』という品詞を使うことが増えていきましたよね。うーん、そうなったきっかけはなんなんだろうな」。


「これまでの切り込み方、つまり思考しまくって成果に直行するというやり方に限界を感じはじめてたんだと思うな。『仲間と一緒にやり遂げたい』、『ぜひ立ち上がってきてほしい』、『早くナンバーツーが出てきてほしい』とか言ってはいるんだけど、要はりょうさん一人で全部やっちゃってたってことですよ。一人でやることの限界をどこかで感じ始めていたんです。見えてないけど感じてた。創業経営者がよく突き当たる苦悩だよね」。
「そのとおりですね。思考や合理性で解決するには限界があると感じてたんですよね」。
「そうそうそう。その『感じてた』っていうのが大事なんですよ。恐れ。恐れってね、弱い所から顔を覗かせるものなんですよ。さらに人は誰でも自分の弱い所を出すのは怖い。できれば出したくない。『弱さを見せちゃっていいんだろうか』、『認められなかったらどうしよう』と感じる。でもね、自分は隠しているつもりでも周りには見えちゃってるんですよ。なんとなれば人は思っていることを自己に投影して見せてしまうものだから。『顔に書いてあるじゃん』という状態。さてどうするか。書いてあるものを消しにかかる。削りにかかる。だって無くしたいものだから。削りにかかってくる経営者と誰が共に歩もうとするだろうか。こういうメカニズムになっていたんじゃないかな」。
「そうかなるほど。あの、、、ぜひ長くうちに関わっている公式ライターさんにも聞いてみたいんですがそのころを振り返ってどうですか」。

鈴木さんが言うように私はオズビジョンにそこそこのご縁をいただいている。本稿も含めて原稿を書く際には、見てきたことを歴史的事実的背景的知識として活用はするが、同社の提灯記事作成の材料には決してしない。それをささやかな矜持としてお伝えした上で当時感じたことを簡潔にまとめる。
ひろしさんが言うように、まさに社員たちは鈴木さんの孤独を見取っていたと思う。同時に共に歩んでいきたいという真実の思いも確かに看過していた。しかしその条件に『鈴木流の承諾』があったと思う。人はみな違う。その違いの受容は不足していた。人はみな違う。その変え難い現実に直面し戸惑い苦闘していたというのが、私から見た当時の鈴木さんの印象だ。そんな吐露を受け山田さんは続けた。



人間からエゴをなくすことは永久にできない。
エゴを抱えた愛しい存在であることを認めることから始まる。

「人はみんな違う。そうなんですよ。でも自ら行動できてしまう人は『なんで乗ってこないんだ』って思ってしまう。大事なのは『乗ってこないのはその理由があるからだ』ってことに気付けるかどうかです」。
「ひろしさん、いま話をしている関係性のメカニズムって方法論としては昔から語られていますよね。私もアタマでは知っている。でも実際にやっていたことは違うんですよねえ」。
「それは本当に知っているわけではないってことですね。『寂しい』とか『嫌だ』という領域は知るものではなく感じるしかない。理解する性格のものではありません」。
「コーチングってとくに以前はちょっとうさんくさいものに見られてましたね。霊魂やUFOのような体感した人以外には信じられないものというか、ネガティブなイメージが」。
「もう10年以上コーチをやっていますけどその通りですね。気持ち悪い(笑)。うさんくさい(笑)。確かに成果や結果を説明するのがすごく難しいこともありますし。でもね、自分を知るってことに終わりはない。次から次へと発見があります。私はね、経営者には二つの側面があるように思うんですよ。一つは結果を出すということ。会社でも事業でも売上でも利益でも。これは見えるからわかりやすい。もう一つはどうやってやるかということ。ことオズビジョン、りょうさんはこっち、すなわちどうやってやってくかにすごくこだわりがあるから、いい意味でとても難しい。たとえば誰とやっていくか、というのもこちらの話ですが、人はみんな個別の異なる感情をもっている。価値観状況意欲願望、みんな違う。これらは制御困難なものばかりです。しかし困難でもなんとかコントロールしていくことが必要なものでもある。『違うんだからどうしようもない』ではだめです。そんなに安直な問題ではない。尊重するけれどもこの方向でいくよと。途轍もなく難しいが両立をしなければならない」。
「最近考えるんですよ、ひろしさん。ゴールすることが目的なのか、そこに至るプロセスを味わうことが目的なのか。後者なんじゃないかなと。オズの魔法使いの物語が当社の核にはあるんですが、その物語の主題でもある『プロセスの体験』こそが私が本当に欲しいものなのかなと。そうであれば結果うんぬんという話ではなく、こう生きたいという話なんだろうなと」。
「オズビジョンはそういう方向に行こうとしてる会社ですよね。社員の方にお会いしてもそう感じます。だから面白い。だからこそ非常にめんどうくさい(笑)。そこであらためて人は何のために生きているのかっていう話ですけどね。私は二つあると思っています。一つは何かを達成するということ。もう一つは日々何かを実感し味わうこと。前者はまさにビジネスで果たせることです。一方で後者、具体的には喜怒哀楽や暑さ寒さとかいったものですが、こちらはまさに感性に属するものです。面白いものでどちらか一方に傾き過ぎると感じる幸せの総量が減るんですよね。そうなると持続が難しくなる。ではどうバランスをとっていくのかというのが経営者共通の悩みです」。
「組織を構成する人たちがありのままであるということと放置をするということは全く違うことですよね。でもその違いってなんだろう。ひろしさん、何だと思いますか」。
「いやいやいやわからない(笑)。でも森のメタファーからアプローチすると少しわかる気がする。森のメタファーとは私が主催している森のリトリートという自然の中で内省をするというプログラム(https://morie.co.jp)に関連するものですが、森には木や草や土や虫、鹿やイノシシや鳥なんかがいるでしょ。それぞれ別のものになろうとしていない。食ったり食われたりはあるけどお互いに比較や競争をしたりしない。もっともっとという欲望がない。一方で人間には心の奥にはもっともっという衝動がある。これは一般的にエゴといわれたりするものです。さて組織においては比較や競争が存在している。『勝たねば』『評価されなければ』という思いがある。一方で『力をあわせてやり遂げよう』とか言う。この相矛盾を人間は有している。人類は30万年かけてその歴史を積み重ねてきましたが、意識の状態レベルでは未だ発展途上の段階にあると思います。最近でこそサスティナブルとか全体幸福について語られてきていますけどね」。
「人が自身の可能性を最大限発揮できる舞台にするためにオズビジョンをやっているんですが、できれば自由を阻害するもの全てを排除、究極的にはノールールでそれを実現したいと考えています。その方が人はクリエイティブで在れるだろうと。一方で果たしてノールールでいいのか、一方向に向くのかと。『わら一本の革命』という書籍があるんですが(福岡正信著 春秋社 2004)、植物はなぜ育つのか、何もしないから育つんだ、とね。もっともっととやらないほうがかえっていいんだと。一方で人間にはエゴがある。難しいですね」。
「ありのままであることとエゴを有しているというジレンマ。このジレンマはもう受け入れてやっていくほかありません。人間である以上抱えて生きざるを得ない。その前提なくして、机上のキレイごとだけでやっていってもだめ。さっきの農業の話ではないけど、じゃあ何もせずありのまま自然のまま放置するのが一番だ、という知恵を真に受けて安易にに採り入れるのは危険です。土地や水は地域によって千差万別であるように、人や文化は組織によって千差万別。にもかかわらずたとえば『ティール組織』が謳っていることを理解したつもりになって書いてある手法をただ採り入れても無駄。ティールを本質的に実現するのは途轍もなく難しいことですよ。日々観察し地べたを這い回って土にまみれること。これこそが必要であり重要なんです」。
「木や土や虫や水の組み合わせの総数は天文学的なものになるように、組織へのアプローチの方法論も数限りなくあるということですよね」。
「ティールの話は人の意識段階の歴史的な位置をメタ認識、俯瞰するという視点で、今ここに至りつつあるという地点を示すものではあると思います。次の意識段階に移行してよいというシグナルとも言えると思います。ただただ『あなたの思うままにどうぞ』とやるだけでは結局何も起きない。人間はキレイごとだけでは飽き足りなくなるもの。どこかでエゴをエンジンにして走ってみたい衝動があるものです。たとえエゴが制御できるようになったとしてもエゴ自体がなくなることはない」。
「マズローも言っていますね、たとえ自己超越段階に達したとしてもそこに留まるとは限らないと」。


「在り続ける」ことのプロセスそのものを味わう。
「やりたくてたまらないもの」を自然に実行していく。

「りょうさんは現在進行形でオズビジョンを経営しているわけですが今後をどんなふうに考えていますか」。
「前にも述べたようにプロセスそのものをもっともっと味わっていきたいと思ってますね。ありのままで在れるようにやっていきたいと考えてます。無限にある方法から自分たちが信じるものを選択し、あらゆる制約を振り払いながら」。
「人の集団ですからコミニケーションをはじめとする仕組みはこれからも必要になってくると思います。不必要なものをどこまで削ぎ落せるかでしょうね。たとえばオズビジョンで定めているクレドとかね。こういったものはなくてはならないと思います。大事なものは削ってはいけない。バラバラになっちゃう。一方で対話は必要です。クレドも対話がないと形骸化します。氷山の譬えでいう水に沈んだ部分の話ですよ。なくてはならないものに対して何を感じているのかを知る。ここを大事にすることを守っていくことが重要です」。
「クレド関して言うと、必然性をいかに建てつけるかということが大切だと思っています。ありのままなんだけど実行したくなるということ、それが必然性だと思うんですよ。ありのままの自分で自然に発動するというようにしていければと思いますね」。
「いいですね。やりたくてしょうがないものであれば人は自然にやっちゃうものです。確かに一人一人違うんだけど、では最大公約数的に『あり』と言えるものはなんだろうかと考える。みんな違うことを前提に『これは響くね』『これは握りたいね』というもの。対話を通じて自然に共感できるものを発見していく」。
「そんな風に感じる点がまさに組織における共通点、合意点ですよね」。
「『人の幸せに貢献し、自己実現する集団で在る』という理念を掲げるオズビジョンで、そのようにやりたくてたまらない共通点となるものは果たして何か。みんなを動かすような必然性とは何か。その核心を構成するのは『自分は何で動く人間なのかということを知る』ことです。これがわかれば、あるいはわかった人が集まれば、頼まれなくても実行する人の集団になる。瞬間だけでなく持続性のあるエネルギーが生じます」。
「『経営者』ってなんかイヤだったんですよ。偉そうな感じがして。でも振り返ると結局経営者やっちゃってるじゃん、俺って(笑)。ありのままやってきて今経営者やっちゃっているってことはこういうことだったんだなと。これからも理想をもってやっていきたいと思います」。

本シリーズはもちろん対談である。できる限り制約を設けることなく両人が思いのままに語ってもらうことを大事にしている。思いのままに語ってもらった結果、今回はまさにコーチングの現場そのもの体であった。コーチングのプロ中のプロである山田さんの語りかけは、素直に相手に寄り添い、相手の内から何かを自然に溢れ出させる。そしてそれをとことん尊び、慈しむ。
会社が人間の集団である限り、経営の話は行きつくところ人間の話に至る。会社というものを真摯に考えぬくこと、それは人間そのものを真摯に考え抜くことである。『日々観察し地べたを這い回って土にまみれること』。これこそ種々の経営論を超えた、人間性を会社の中心に据えるという現在の組織論の最新トレンドの中核をなすものなのではないだろうか。コーチングの濃密な現場に立ち会いそんな学びを得た。今回はとても得をした。


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